唐津城のトイレマークを紹介します。
え…?アタシ斬られてる…?
お前どうした!?胸から出血が…!
発見日:2008年1月12日
お武家様のトイレマーク!
今回のトイレマークは、お武家様と奥方らしき男女のシルエットを、丹精込めて手彫りされたトイレマークです。
前回のNo.099で唐津城内のトイレマークは、着物ではあるものの、衣装から「庶民なんじゃ…?」って疑惑が噴出しました(私の中で)。
詳細はコチラのページをご参照ください。
でも、今回は、
男性は裃(かみしも)姿
女性は、足元に広がった裾があることから打掛姿
…なことが想像でき、お武家様ではあろうことが推測されます。
なので殿様奥方様なマークなのは達成。しかし、もうひとつ、問題があるのでした…。
色ムラ?色剥げ?が出血しているよう…
今回のトイレマーク、はからずもちょっと目を引いてしまう点が、
女性の左胸の、色が剥げてきているところが、心臓から出血しているように見えてしまう、というところですね。
なぜかちょうど、心臓部分に、刺し傷と流血のような跡がついてしまっています。
気にしなければいいんでしょうけど、人型って、些細な変化でも色々想像してしまう形なんですよね。
ちなみに、今回、このマークが気になって唐津城の歴史をカンタンに調べてみました。
唐津城の歴史は?
1595年 豊臣秀吉の家臣・寺沢広高がこの地に封ぜられる。
関ヶ原の戦い(1600)で東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名になる。
1602年 本格的な築城開始。
1608年 城完成
1637年頃 島原の乱がおこる。広高の子の堅高、責任を取らされ天草4万石没収。1964年、堅高は江戸藩にて自殺。
1649年 播磨国から大久保忠職が入城。
1678年 下総国から大給松平乗久が入城。
1691年 志摩国から土井利益が入城。
1762年 三河国から水野忠任が入城。
1817年 天保の改革で知られる水野忠邦が遠江国へ移封され、代わりに陸奥国より小笠原長昌が入城。
幕末期 最後の領主小笠原長行は老中・外国事務総裁を兼任。※長行は領主に数えない場合もある
…てな感じです。結構、領主が変わっていて、一氏による統治が続かなかった模様。
しかし島原の乱や水野忠邦など、中学レベルの歴史でも習うワードが出てくる日本史的に結構重要な藩なのでした。
コメント