男は青、女は赤のイメージは日本ではいつから?歴史でみる色分けについて-No.123

トイレマーク ――歴史ものアート

紙雛のようなトイレマークを紹介します。

日本って…昔から男は青、

女は赤だったのだろうか?

そういえば女の子が青の服の

イメージはないかも!

発見日:2008/2/29
発見場所:福岡市博多区 飲食店
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日本において女性=赤、男性=青や黒の衣服はいつから?

現代の我々には、トイレマークや一昔前のランドセルの色などにも見られるように、男=青や黒、女=赤のイメージはごく一般的になっています。

昔の装束を考えても、お雛様を見ると、お内裏様は黒、お雛様は赤の装いを想起します。

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日本においては昔から、女=赤系、男=黒や青というイメージだったのでしょうか。

和服を着るシーンという点では現代の七五三を見ると、3歳女児は圧倒的に赤またはピンク色が多いです。しかし青や緑も存在し、着てはいけないということはありません。

 

一方の男児は、黒っぽいものから薄青、緑、黄色、えんじ色まで様々に見ることができます。

でもおぼろげに男は青系、女は赤系の着物のイメージがありますよね。日本人の着るものの色の歴史について調べてみました。

飛鳥・奈良時代

古代において、染色した衣服を着ることができるというのは、特権を表すものでもありました。大多数を占める庶民が白っぽい服装を着ていたなか、宮廷貴族・豪族は身に着ける色に意味を持たせるようになりました。なかでも日本史において身に着ける色が重要な役割を果たすのは、603年の「冠位十二階」です。

男性

「冠位十二階」は、官人をその位によって着る冠の色を定めたものです。この時代、政治を行っていたのは男性でした。そのため、この「冠位十二階」は男性がつけた色となります。

その際の色分けは、ハッキリと冠位の色を記した文献は見られないため諸説ありますが、現在一番有力なもので上の位から順に「紫・青・黄・赤・白・黒」とされています。冠位十二階の思想の元となった「仁義礼智信」という五行思想には、「仁が青、礼が赤、信が黄、義が白、智が黒」という対応する色があるため、それに当てはめ、さらに最高位の「徳」に関しては、この時代最高位だったであろう蘇我入鹿の冠位が紫だったという記述から紫であったであろうとされています。

冠位※イメージ(実際の色というわけではありません)

これを見ると、満遍なく色が使われているようですね。衣服の色に関しては、冠の色に準じるという説もあるそうです。

その後、717-724年の養老律令では、衣服の方の色が決められました。主に官人の正装で用いられる「袍(ほう)」と呼ばれる上着の色が位によって決められたのです。それによると、以下のイメージです。

養老律令

四・五位に緋が入っていますが、紫・緑・青といったちょっと青系の色が使われているように思えます。

女性

一方の女性はあまり資料がないようなのですが、同時代の「高松塚古墳」(694年~710年頃築造)の壁画イメージでいくと、女官はそれぞれ黄色・赤・青の服装と、カラフルなスカートのようなものを着ています。

赤青黄、まさに三原色のどの色も着ています。とても象徴的な色合いではないでしょうか。

平安時代

男性

平安時代初期には、奈良時代から続く男性の正装「袍」の色の淡い色は無くなり、「紫・緋・緑・縹(はなだ)」の濃い色のみになります。そして天皇の限定色として黄櫨染 (こうろぜん) の袍,青色の袍とよばれる青白橡(つるばみ)色が全体禁色として設定されます。その後、平安後期になると、衣服の色は一~四位は黒、五位は緋、六位以下は縹とされ、黒、赤、青系に統一されていきます。

アラッ!もうほぼ黒か青の服装になっています。黒と青って、現在に残る男性イメージの色のまんまですね!現代のスーツも大体がこんな色合いですが…これは非常に興味深いですね。…にしては五位の緋色が目立ちますね。どうかすると嫌がらせ?っていうほど五位だけ浮いています。

しかしこれはあくまでも正装の場合の色です。スポーツウエア的な狩衣などでは、男性もさまざまな色の組み合わせを楽しんでいたようです。

女性

かさね

平安時代になると、女性は十二単に見られるように、カラフルな色を重ねて着る「襲(かさね)」を楽しむ服装となります。その「襲(かさね)」は色の組み合わせに名前が付けられ、いくつもの種類がありました。そして季節や年齢、性別によりその「襲(かさね)」を使い分けていたそうです。その組み合わせは百種類以上あるそうで、青や緑、紫なども積極的に使っているのがわかります。

…ということは、特に女性は赤って感じでもなかったんじゃ…って思いましたが………。

装束着用之図「装束着用之図5」国立国会図書館デジタルコレクションより

 

あ…袴(はかま)は赤じゃん!

と気づきました。

 

 

そういえばこの緋袴(ひばかま)、現在でも神社の巫女さんが着ていますよね。とても馴染み深いです。

巫女ちゃまちさんによる写真ACからの写真 

 

この緋袴、もとは奈良時代に肌着であった下袴が、国風文化の流れで大振りとなり、平安中期以降は表着として宮廷で活用されるようになったものだそう。

 

紅花が出す深紅色が平安時代の頃から女性達の間で愛されて公式の場でもしばしば用いられた。(wiki 緋袴より)とされます。

そしてこれは高価で、火災を連想される事から度々禁止令が出されたが、全く効果がなかったそうです。禁止されても女性は赤を選び続け、やがて定番化してしまったという流れのようです。

赤…やはり古代から女性は赤を選んでしまう性質なのでしょうか…。しかし個人的には、上着でもなく袴が赤というのは、月のものの色と関連がある気がしてなりません。緋袴の成り立ちに関しては、今後も調べていく所存です。

鎌倉時代~室町時代、江戸時代

鎌倉時代になると武家が活躍するようになり、服装も庶民の服装由来の男性の直垂(ひたたれ)、女性の小袖のように動きやすいものがメインになります。この時代、染色技術が発達し、様々な模様を生地に入れられるようになってきたようなのですが、色についての決まりはこの時代は特に資料は見当たりませんでした。

そして江戸時代になると、戦のない豊かさは服装の方へ向かおうとしますが、幕府がたびたび「奢侈禁止令」として、庶民ばかりでなく公家や大奥にも贅沢を禁止する令を出します。農民や町人は身分によって着る生地を制限され、鼠色・茶・藍など地味な色を推奨されました

いくつかの色は天皇や将軍など一定の身分のみの色「禁色(きんじき)」とされました。

男性

武士でイメージする肩の張った袖なしの「裃(かみしも)」は、とくに色の定めはないものの、藍(あい)色やねずみ色などのじみな無地染めや小紋染めが好まれた(日本大百科全書より)とされます。

女性

武家や有力な商人の女性は、打掛を羽織るのが正装になります。この打掛は、次第に赤や金銀を使うようになりました。また、江戸時代後半には遊女も赤い厚みをもたせた打掛を羽織るようになります。また、徐々に結婚式に白無垢に赤い打掛を羽織るスタイルも、一般に広まっていったそうです。結婚式での赤は、魔除けや慶事であることの意味も含んでいるといいます。

結局好みなのか?

ここまで、こうしてできる範囲で見てきましたが…、昔から男性は正装はダーク系、女性は赤い服を「好んで」着ていたことがわかりました。しかしどちらも、明確に男女でこの色を着ろ!というものは今のところ見当たりませんでした。根拠がよくわからないんです。やはり傾向がある、としか言いようがないんですよね…。

その後、日本は開国し、西洋の文化なども入ってきます。男性は、西洋化で黒スーツを着ることも多くなるとは思いますが、やはりそれは傾向でしかなく、近代においてあまり男女の色に関する目立った動きは見つかりませんでした。

ちなみに、明治後期に発刊された平塚らいてうなどによる女性解放をうたった書物「青鞜」に”青”が含まれているのは、これは英語の「bluestocking(ブルーストッキング)」を直訳したものなのだそう。これは、18世紀のロンドンで教養が高く知性を尊重する婦人達のグループのシンボルとして青いストッキングが用いられていたことから引用されたものなんだとか。そしてここでいう青は、シルクのフォーマルな黒い靴下ではなく、普段着の青い毛糸の靴下を指していたといった具合で、赤との対比ではなさそうです。

青赤の男女の色分けが広まったのは戦後?

第二次世界大戦後の特に昭和30年代、日本において男女の色分けという点で注目すべき出来事がいくつかあります。それが以下の3イベントです。

  1. ランドセルの普及
  2. トイレマークの登場(東京五輪)
  3. 鯉のぼりのカラフル化

以下、解説します。

1.ランドセルの普及

ランドセルは今でこそカラーバリエーションが豊富になりましたが、一昔前まではほぼ「男=黒」「女=赤」でしたよね。このランドセル自体が広まったのが昭和30年代頃の高度成長期だったと言われます。どうして黒と赤の色だったのかなどについては、別のページで調べましたのでこちらもご参照ください。

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2.トイレマークの登場(東京五輪)

1964年(昭和39年)に行われた東京五輪では、初のヨーロッパ語圏以外の開催で「非言語」による表示を、と考えた末にトイレマークを含むピクトグラムが考案されました。トイレマークの起源はここともいわれます。その際に、男=青、女=赤の色表示は「なんとなく」決まったと言われますが、これが男女色分けが世に広まる一因なのは間違いありませんね。

トイレマーク誕生の詳細は以下

東京オリンピック’64がトイレマーク誕生のきっかけ?誰が作ったの?‐No.355
トイレマークの元祖というべき1964年東京オリンピックのトイレマークを紹介します。

3.鯉のぼりのカラフル化

それまでも、鯉のぼりは黒い真鯉と、赤い緋鯉はありました。しかし、昭和6年発表の童謡にあるように「大きい真鯉はお父さん~、小さい緋鯉は子どもたち~♪」という認識だったんです。赤い緋鯉はお母さんではなかったんですね。それが、1964年の東京五輪開催の際にある鯉のぼり職人さんが五輪の輪を見て「家族セットにしよう」と思い付いたのがきっかけで、青の鯉が子どもとして追加、そして赤い緋鯉がお母さんに変化したそう。はじめはカラフルな鯉のぼりなんて…という反応だったそうなんですが、人気が出るようになり、今では家族仲良しの象徴としても鯉のぼりが揚げられています。

以下のように、1964年の東京五輪前後が、今の日本の男女の色観を形作っている可能性が高いのではないかと思われます。

 

 

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