マロ眉でにっこり笑ったトイレマークの違和感について考察します。
破顔一笑!
この表情、実は…
発見日:2008年8月6日
ニコニコ笑うマロ眉のトイレマークについて
今回見つけたトイレマークは、ニコニコ笑っているのが特徴的です。
男女ともに平安以降の貴族のような格好で、マロ眉だということがわかります。
一般的にいうと、マロ眉といえば、能面のようなお顔が思い浮かびます。
表情がよくわからない、のっぺりとしたお顔です。
そんな印象の「マロ眉」、現代人にとっては、「何であんな眉にしていたのだろう…?」と疑問が沸いてきます。
そこで「マロ眉」について調べてみました。
引眉とは
引眉(ひきまゆ)とは、奈良時代から江戸時代にかけておこなわれた化粧法で、眉を剃る、または抜くことを意味します。もともとは成人の儀である裳着の際に「お歯黒」とセットで行われていたもので、女性の成人した証でもありました。男性は平安時代の中期頃から行われるようになり、江戸時代頃まで宮中ではされていたようです?。
どうして眉をなくしたの?
ではどうしてわざわざ眉を抜いて(剃って)いたのでしょうか。
それは当時、貴族には白粉で顔を白く塗る習慣があったことに起因します。この白塗りには中国大陸の影響があったほか、日中でも薄暗い宮中のなか、美しくみせるためだったとされています。その際に眉毛のせいでおしろいが浮いてしまわないようにするという目的があったようです。
いずれにせよ、昔のおしろいはすぐにはがれ落ちていたようなので、あまり表情が作れなかったようです。おしろいを保つには、表情をつくらないこと。それがだんだん高貴とされるようになったと言われます。
また、眉毛を剃り落とすことによって、「表情が読めない」という側面がより際立ちました。
近年の研究で、人間は眉の微妙な表情を読み取ることで進化したということがわかってきました。眉毛は表情をつくるうえで重要なものということが立証されつつあります。しかし昔の日本ではあえてそれをなくし、表情をよめなくすることが美徳になっていきました。
人間らしさの真逆をいくことが高貴とされる、なんだか興味深いですね。
マロ眉を描くようになったのは?
白粉とあわせて、”眉化粧”もするようになります。白粉の上から眉墨で丸く描いており、これは「殿上眉(てんじょうまゆ)」などと呼んでいたそうです。文字通り、殿上に上がるような高貴な方々がされていたためこの名がついているそう。
平安時代まではそこまで高い位置に描かれてはなかったようなのですが…。
室町時代以降になると、額のかなり上の方に描かれるようになっていたようです。
上↑の画像は戦国時代イチの美女とされるお市の方の肖像です。信長の妹としても有名ですね。眉毛が髪の生え際あたりにあります。目も細く、現代の我々からすると美人とはいいがたいような印象ですが、美人の基準なんて変わるからですね~。
ちなみにこうしてここまで額の上部にまで眉がきているのは、眉毛の表情筋には動かされない場所だったからという見方もあるそうです。なるほどですね~!しかしそれほどまでに無表情を貫きたかったのでしょうか…?
その後江戸時代になると、引眉とお歯黒は既婚女性の習慣となり、眉を描かずに「眉なし」のままでいる場合が多くなります。
喜多川歌麿「歌撰恋之部・物思恋」
そして明治になると、欧米の文化に合わせるためお歯黒禁止令がでて、引き眉は廃れていきました。
…ということで、日本では平安時代前後から明治以前まで、長らく眉を抜き表情を乏しくすることが美徳とされていたということがわかりました。
満面の笑みのマロ眉キャラはおかしい?
…ということで、話を最初に戻すと、冒頭のトイレマークは、マロ眉ですが、満面の笑みでいますね。
当時の感覚でいくと、これはありえない姿なのでしょう。
白塗りマロ眉は、無表情が正しい表情ということになります。こんなニコニコ顔は、かなり現代によった表現なのだと思います!
化粧の裏側を知ると一周まわって感慨深い、面白いトイレマークなのでした。
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