昔の姿のトイレマークを紹介します。

俺が誰かって…?

野暮なことは聞かないで
発見日:2025年5月8日
悠久の古代ロマントイレマーク
今回のトイレマークは……
大和・古墳時代っぽい髪型の男女のトイレマークです。
イメージでいうと、こんな感じでしょうか?
このトイレマークがあったのは、福岡県の太宰府から1時間くらい車で走った場所にある「大己貴(おおなむち)神社」。おおなむちは別名「大国主(おおくにぬし)」と言うメジャーな神様をまつっています。
この神社の歴史はかなり古いらしく、西暦200年頃に、神功皇后が新羅討伐の兵士を集めるためにここに太刀・矛を奉納し願いを立てたのが始まりと言われています。
実はこの神社周辺の地名や、位置関係が奈良の大和地方とソックリらしく、古代の関連が指摘されているそう。
神功皇后も卑弥呼も同じ時代で、同一人物とかそうでないとか色々と説があるようですし、大和政権とのかかわりやら、……古代に思いをはせると、色々と夢が広がりますね!
で、おそらくそうした伝説から、トイレのマークも、こんな古墳時代的なものになったんだと思います。
ちなみにコレが、トイレマークがあった建屋↓。
いやいや、神社社殿撮る前にトイレ建屋かよ!というところですが…、大目にみてね。
トイレマーク関連にちょくちょく登場する神功皇后
今回、この神社のはじまりが神功皇后が第14代仲哀天皇9年(西暦200年頃)、新羅討伐の兵士を集めるために太刀・矛を奉納し願いを立てたことから、というところですが…。
神功皇后関連は、前に宗像のトイレマークを扱ったときにも触れました。
この記事ですね↓。

このトイレマークは、本当に興味深くって、なぜ男女ともに同じ格好なのか?というところを考えると、女性マークのほう、「男装の女性」かもしれないんですよ。
だって、このトイレマークのあった浜に伝説のある「神功皇后」は新羅討伐の際に、この髪型「みずら」に結って男装していった伝説があるんですよ…!!その地にあったトイレマークなので、これは男女ともに「みずら」の気がするのはあながち間違いないのではないか…!?というのが私の推測です…!
いや、個人的なこじつけかもしれませんけどね…!でもその可能性考えるとワクワクしますね~!
……と、鼻息荒く語ったところで。
ん?ということは、今回ももしかしたら、男装の女性・神功皇后かもしれない…?
いやいやいや、ちょっと調べてみましょう。
wikipediaの神功皇后のページによると、
仲哀天皇9年3月 朝倉市周辺の熊襲征伐を引継ぎ完遂
仲哀天皇9年4月 橿日宮に戻り、橿日浦で神託を受け男装
仲哀天皇9年9月 大三輪神(大己貴)を祀り矛と刀を奉し船と兵を集めた。
となっていますね~。
となると、この地で9月に祀ったってことになるので、もう夫はお亡くなりになってるので、これが仲哀天皇と神功皇后夫妻説は薄いですね。
…でも、神功皇后が一人二役としても……ねえ?
じゃあ、3月に征伐された熊襲の人イメージなのかも…??
………。
いや、神社ということで、祀ってある日本神話の神様たちなのかもしれない。
いや~、考え始めるとキリがない。
しかし、男装にしてしまうと、トイレ的には本末転倒…!トイレは生物的な性で分けてほしい。
なので、ここは深く考えずに、このトイレマークに描かれている人物は、おおまかに「古代の姿」ってところでとどめておいた方がいいのでしょう…。
しかし、こうした古代のエピソードが巡り巡って再びやってくるのって、すごく面白いですよね~!
ちなみに、トイレマーク自体とは何の関係もなかったですが、以前「道の駅豊前おこしかけ」のトイレマークを取りあげたときに、その「おこしかけ」の由来にも神功皇后が絡んできました。

あと、津軽の凧の題材を調べたときも、神功皇后は好まれていました。

九州と言う土地柄…?エピソードが強いから…?いずれにせよ神功皇后、このサイトでよく名前が挙がる人物には間違いないです。
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