吉野ヶ里遺跡のトイレマークを紹介します。
メッセージが山ほどあるんだ…
だからそれが怖いんだって。
発見日:2016年11月某日
提供:ちえ様
恐怖感があおられるトイレマーク
今回のトイレマークは、吉野ケ里遺跡にあったものを友人にいただきました!
見るからに古代の服装をした人物が描かれています。しかし、顔の中身、表情は描かれず、のっぺらぼうの姿です。また、上半身だけ浮いているようで、幽霊ともいえる姿です。
さらに恐怖を引き立たせるのが、背景にはグレーでぼんやりと剣と土器が埋まっている様子も描かれている点。
いや…わかるよ?遺跡だといいたいのは十分わかるけど…
埋まっている様子が直接的すぎて、恐怖です。特に剣が地面に半分突き刺さった形なのも、戦場のあとのようないわくつきの地みたいな雰囲気もかもしだしています。
でも、吉野ケ里は、たくさんの興味深い遺構が見つかった国内でも注目の遺跡なんです!こんな怖さばかり浮き出てくるのはなんだか残念なので、吉野ケ里について(ポジティブに)ご紹介します!
吉野ヶ里遺跡とは
吉野ヶ里(よしのがり)遺跡は、佐賀県の吉野ヶ里町と神埼市にまたがる遺跡。国の特別史跡に指定されています。主に弥生時代の集落跡で、大陸から伝わった稲作や青銅器の文化によって、ムラからクニへ発展していく過程がみてとれる重要な遺跡です。
稲作が縄文時代末期に大陸から伝わったあと、弥生時代前期には吉野ケ里内で点在して周りを壕で囲んだ「環濠集落」がつくられ始めたとみられます。また、青銅器鋳造の設備も発見されたことから、この頃から製造が始まったとみられています。
弥生時代中期になると、他の北部九州と同じように遺体を甕(かめ)に入れての埋葬が見られます。墳丘墓も見られ、副葬品から有柄銅剣やガラス管玉等が出土しています。環濠集落はどんどん広がり、壕の内部は多くの竪穴建物跡や穴倉(貯蔵穴)跡が見られ、居住域と倉庫域が区別されていたとも判明しています。また、祭壇など儀式に使う設備も見つかっています。
その後弥生時代後期になると環壕がさらに拡大し、40haと国内最大級の広さになります。壕は二重になり、物見櫓も設置されました。高床式倉庫群も設けられ、堅固に守られた城壁のなか、祭祀を行い、倉庫群で食料を組織的に保管し、青銅器・鉄器・織物等の手工芸を交易し、数多くの人々が住むクニへと発展していった様子が見ることができます。
現在の吉野ヶ里は、この頃の発展した様子を再現しており、物見櫓や壕、住居などを再現して歴史公園として保存しています。
このトイレマークは何を表している?
では、トイレマークそれぞれを見てみましょう。
男性は耳の横で結ぶ「みずら」という髪型をしています。みずらは埴輪などにみられる古代の髪型とされ、弥生時代にはじまった髪型とされます。全国的にみると身分の高い人はこの髪型が見られることで、身分の差が出てきた地ならではとも見ることができますね。
女性は二つ結びにしています。この髪型をしていたかは定かではなく、髪型自体は現代寄りのものにしたのではないかと思われます。
吉野ヶ里では、甕棺のなかから絹や麻布の繊維が発掘されているそうです。また、絹は染色していた跡もみられるそうで、赤と紫の衣服も存在したとみられているそうです。モチロン着用するのに男女に差があったかはわかりませんがね。まあ、男性トイレマークのような青は…なさそうですけどね。
また、背景にグレーで描かれた剣は、実際「有柄銅剣」として同じ形のものが出土していますし、たくさんの壺など土器も出土しているので、それをそのまま描いたんだと思います。
ただ、ここに描かれている土器については、「遺体を埋葬した甕」ではないと思いたいです(苦笑)。首部分がせばまっておりので、遺体は入れにくい…はず。トイレマーク制作者の意図を推し量るしかないのですが、甕棺はトイレマークに描かない…よね???コレがお棺のつもりだったら、マジで怖いよ~~~!
みんなのトイレの絵も注目!
また、今回このトイレには「みんなのトイレ」としてもうひとつ車いすと子連れとベビーが描かれたものがありました。
いや、普通のトイレマークなら子連れやベビーってホンワカするものだと思うんですが…。コレ、怖っ!
ベビーの真下に剣があるってどうなの……。
色々面白すぎるトイレマークなのでした。
ほかの遺跡のトイレマークは?
三内丸山遺跡でも、オリジナルトイレマークだったようです。
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