頼朝風のトイレマークを紹介します。
俺、源頼朝に似てる?
じゃ、私は政子かしら?
発見日:2008年8月
提供:KT様
源頼朝風なトイレマーク!
今回見つけたトイレマークは、昔の貴族のようなトイレマークです!
男性を見ていると、あの歴史上の人物を思い出しません?
そう、源頼朝です!
たぶん、頼朝を意識したといって間違いないとは思うのですが…。角度やヒゲの形もそっくりですもんね。
一方の女性は、髪を垂らしています。結い上げていないので、江戸時代以前だろうなあ…と思いますが、どの絵を模して描いたのかまではわかりませんでした。しかし、源頼朝の横に座っているのだから、北条政子かもしれません。
普通に考えれば、頼朝と政子じゃん!で終わると思いますが、このトイレマークがあった場所を考えると、なんだか違和感を感じるのです。
JR甲府駅という場所に違和感?
このトイレマークがあった場所というのは、JR甲府駅でした。
甲府って、何か鎌倉幕府と縁あったっけ…?と思い調べてみましたが…。
一応、頼朝挙兵の際には、武田信義率いる甲斐源氏の一族が参加して活躍したそうですが、その後冷遇されています。
甲斐源氏を中心に見るならば、挙兵時には源頼朝と木曽義仲、武田信義は同格の武家棟梁だったにも関わらず、鎌倉幕府が成立すると、甲斐源氏の一族それぞれが頼朝に排斥され、鎌倉幕府の一御家人に過ぎないという立場まで落とされてしまいます。
う~むむ。鎌倉幕府一派にはかわりありませんが、甲府を本拠地とする武田家とは、因縁深い相手ですよね…。
実はこの肖像は頼朝ではない?
実は近年の研究で、私達が頼朝として認識しているあの像は、実は「足利直義」ではないかと指摘されているそうです。もう歴史の教科書には、あの像は頼朝としては載ってないそうなんですね。「伝・頼朝像」とかにされているそう。
…となると、足利直義という人物は何者なのか?となりますね。彼は、室町幕府を開いた足利尊氏の同母弟で、室町幕府の創設に尊氏と奔走し、一時は兄の尊氏と並んで「両将軍」と称された人物。しかし、そのうち兄と対立、幽閉ののち急死しました。
彼は、鎌倉幕府が倒幕されたのちの鎌倉を治めていました。室町時代の甲府は鎌倉府の影響下にあったようなので、甲府とは無関係ではないとは言い切れませんが…ちょっと遠い気がしますね。
結局のところこのトイレマークは…
…ということで、こうして見てみるとなんだか甲府的には微妙な人選ばかりでしたね。
なので、今回のトイレマークは特定の人物ではなく、「なんとなく歴史的なトイレマーク」でいいかな?と思いました。
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