宮島にあったトイレマーク!平清盛?妻は誰?‐No.432

トイレマーク ――歴史ものアート

宮島にあったトイレマークを紹介します。

平家にあらずんば人にあらず、は俺の言葉ではないよ

私?私は平時子。…と思う…。

発見場所:広島県廿日市市宮島 公衆トイレ
発見日:2010年9月11日
提供:中村様&T.T様
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宮島の公衆トイレのトイレマーク

御手洗

今回のトイレマークは、宮島の公衆トイレ。

なにやら金属製で「御手洗」と漢字でご大層に書いてありますね。
更にその周りにはアルファベット。読むと上の半円に「OHSHAKUSHI KOUSHUH BENJO」、下の半円に「OMOTE SANDO」「WC」と書いてありますね。

いや、「OHSHAKUSHI」って大杓子、でっかいしゃもじが展示してある宮島の名所だと思いますが…ローマ字で表示するほどか?

この御手洗の金属が年季入っているような入ってないような…?それによっても、このローマ字の価値が変わってきますね。歴史あるのかしら?

で、今回注目するトイレマークとしてはこの両脇に配置してあった烏帽子の男性と十二単の女性になります。

平清盛?

この男性、宮島にいるということから考えて、平清盛ではないか?と推測を立てました。

 

平清盛(1118‐1181)は平安後期に活躍した人物。安芸守に任じられて瀬戸内海の制海権を手にすることで莫大な利益をあげ、父と共に西国へと勢力を拡大した。またその頃より宮島の厳島神社を信仰するようになり、1168年頃から海上に社殿を造り、平家の氏神とした。

平家を盛り立てた人物ですが、反発も増え、その後平家滅亡へつながっていきます…。

ちなみに冒頭の「平家にあらずんば人にあらず」は、おごり高ぶった清盛の言葉として一部勘違いされていますが、実は弟・時忠の言葉です。

 

それで平清盛の肖像画を探してみましたが…。

有名なのがこの出家後の坊主姿ですよね↓。京都の六波羅蜜寺にある木像です。

 

あとは、『天子摂関御影』(南北朝時代)の清盛肖像↓。

(出典:Wikipedia)

この2つがよく使われます。

そう見ると、この男性マークは若い印象です。でも顔立ちも結構詳細に描き込まれているので、何かモデルがあるのか?とも思いますが…。

具体的に清盛モデルのものではこの顔の文献は見当たりませんでした。

でも烏帽子が引き立て烏帽子のように折ることができるもののようなので、甲冑の下にかぶる用のものなのか…?ということは戦にも出るような人物なのだとは思います。

烏帽子については以下のページもご覧ください↓

烏帽子(エボシ)はいつどんな時にかぶるの?種類も解説!‐No.302
烏帽子の種類について紹介します。

色々検討しましたが、ほかに該当しそうな人物がいないので平清盛でまちがってはないと思います。

平清盛の妻は?

…ということで、女性は必然的に、平清盛の妻ではないかと思いました。

清盛の妻にあたる人は、最初は、高階基章の娘と伝わる女性が正室に入ります。彼女は嫡男・重盛と次男・基盛を産むものの、亡くなります。

その後後妻に入ったのが、平時子です。

平時子は、清盛との間に宗盛、知盛、徳子(建礼門院)、重衡を産んだ継室。のちに清盛の出家に従って自身も尼となり、「二位尼」と呼ばれます。
娘の徳子はのちの安徳天皇を産みますが、清盛の死後、壇ノ浦の戦いで平家が追い詰められたのち、二位尼と建礼門院(徳子)は幼い安徳天皇に「波の下にも都がありますよ」といって海に身を投げ亡くなったとされます。

 

まあ、ほかにも清盛には側室も複数いたみたいですが…。

対になる女性といったら、平時子ではないかと思われます。

しかし、それにしたって表情は硬く、男性から目線を逸らしてそっぽを向いているような形ですね…。見返り美人なのかもしれませんが…。

でも、時子は清盛をよく支えた妻であり、仲は良かったと思われます。

まとめ

宮島というところから清盛たちにクローズアップしてみましたが、若い姿ということで、この後の歴史の大渦に巻き込まれていく様子を想像するとなんだか浪漫を感じました!

 

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