清時代の姿のトイレマーク!帽子や辮髪など男女の髪型についても解説!‐No.613

トイレマーク ――胸像シルエット

先日見つけたトイレマークは、中国の歴史に出てくるっぽい恰好をしていました。何となくみたことあるけど、いつの時代のものだろう…?

と思い調べてみると、色々と興味深かったので解説します!

これは大清帝国時代の衣装だよ

満州族のいでたちね

発見場所:神奈川県横浜市 崎陽軒本店
発見日:2013年11月3日
提供:M様
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中国の歴史的な姿のトイレマーク!

トイレマーク

今回のトイレマークは、中国の歴史的衣装の姿です!

中国…といっても、この服装を見ると、「満州族」のいでたち、つまり満州族が設立した「清朝(1616~1912)」時代なのではないかと思われます。

詳細について解説します!

男性の「朝冠」と「冕冠(べんかん)」について

この男性の頭を見てみましょう。

丸く、頭頂部に真上にそびえる飾りがついていますね。これは中国の歴史を見ると、清朝の「朝冠」だと思われます。

 

イメージ(楽天)

「朝冠」は夏と冬で素材が違い、夏は籐などが編まれた笠のような素材でできており、冬は毛皮でできていました。また、てっぺんの飾り部分が職位によって異なり、皇帝は真珠などがはめられていたようです。この形は、モンゴル民族の帽子に起源があるといわれます。満州は中国東北部なので、モンゴルの影響が強い場所にあります。

ちなみに、古代より中国の王朝の皇帝や支配者階級は、「冕冠(べんかん)」という四角い板が載った帽子をかぶっていました。

隋の皇帝楊堅 (画像:wikipediaより)

この帽子は、王朝が変わっても、民族が変わっても多くの場合は用いられていたそうです。しかし、満州族による清王朝はこれを取り入れなかったそう。

男性の髪型「辮髪」について!

そして忘れてはならないのが、これらかぶりものの下の頭です。今、パーティーグッズなどでこういった帽子を求めようとすると、ほぼ後ろ部分に三つ編みがついてきます。

(楽天)

この三つ編みは、帽子がこういったスタイルだったのではありません。髪型なんです。

清朝の男性は、「辮髪(べんぱつ)」と言って、頭の髪を一部を残して剃り、その一部を長く伸ばして三つ編みにしていました。キン肉マンに出てくる「ラーメンマン」のヘアスタイルといえば想像できますでしょうか。

(楽天)

辮髪は、満州族のヘアスタイル。

モンゴル周辺の騎馬民族の髪型で、兜をかぶった際に蒸れないからという説や、水が少ない遊牧生活のなか維持が楽なように、という説などがあります。

清朝成立後は、支配下の土地でこの辮髪をするよう強いられました。漢民族も最初は抵抗していたものの、従わなければ死刑に処すと厳しい対応もあり、徐々に広まっていきました。でも今の感覚で見ると…、辮髪はやはり違和感アリアリですね。

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たとえば上記の中国ドラマ、美しき9人の皇子たちが出てくるというのがうたい文句なんですが…表紙下のほうに並ぶ6人はみんなイケメンなんだけど、なんか…坊主が並んでなまめかしい感じ。いやでも逆にドキドキするかも。日本のちょんまげしかり、なかなか自然に反した髪型をしますよね。

チョンマゲに関してはコチラの記事もどうぞ↓

ちょんまげの種類と時代について!ハゲにした理由は?‐No.445
まげの種類について解説します

女性の「大拉翅(だいろうし)」とは?

女性に注目してみると、頭は左右に大きく開いた頭飾りを付けているようです。これは「大拉翅(だいろうし)」といって、清朝末期に宮廷や満州族の女性に用いられた髪飾りです。

もともと、満州族の女性は「両把頭(りょうはとう)」といって、頭のてっぺんから円筒状のまげを左右に出す髪型をしていたそう。

それが清朝末期、西太后の頃になると、頭飾り「大拉翅」に変化。これは、髪の薄くなった西太后が髪を結い上げる代わりに大きな飾りをつけるようにしたとも言われています。

 

大拉翅は、花飾りや宝石など、さまざまに飾り付けられており、見た目もとても艶やかです。コスプレなどしても派手でいいですね~。

イメージ(楽天)

 

余談)チャイナドレスって…

余談ですが、服装も「詰襟」スタイルはモンゴル起源といわれており、漢民族は着物のような合わせ襟です。

私たちはチャイナドレスを中国の伝統衣装としてとらえがちですが、これは清朝の満州族の衣装を、近代になって当時入ってきた西洋風の動きやすさなどエッセンスを加えたもの

現在の中国、とりわけ漢民族からすると複雑な思いを抱くようです。

(楽天)

 

このトイレマークは崎陽軒にて発見

トイレマーク

こうして、清時代の姿であろうことが推測されるこのトイレマークですが、「シウマイ」で有名な横浜の崎陽軒にあったそうです。

LADIES・GENTLEMENのスペルがいくつか抜け落ちていますが、マークは綺麗ですね。

崎陽軒はというと、横浜駅内で牛乳、サイダーや餅などの販売店として創業したのが1908年。中国では清のいよいよ最後頃でした。(同時期とはいってもこの頃の崎陽軒は特に中国とは関係はないですけどね。)その後、崎陽軒の当時の社長が横浜名物を作ろうと南京街(現在の中華街)を散策し、注目したのがシュウマイだったそうです。シュウマイは中国の広い地域で食べられている料理ですが「シウマイ」というのは広東語の読みで、北京語だと「シャオマイ」といった発音になるそうです。そして点心職人をスカウトし、冷めてもおいしいにこだわった焼売を開発、1928年(昭和3年)に「シウマイ弁当」の誕生となりました。ちなみにこの頃中国は、1911年に辛亥革命が起こり、長らく動乱の時代に突入していたわけですが…このトイレマークは在りし日の中国へのリスペクトを感じますね!

 

 

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