ちょんまげお殿様のトイレマークを紹介します。
ちょんまげ城主だぞ!
…でも私、髪の結い方が
弥生時代みたいよね。
発見日:2008年8月
提供:KT様
お殿様のトイレマーク!
今回のトイレマークは、広島城にあったトイレマークです!
ということは、この男性の頭は、ちょんまげを意識しているんだと思います。ということは、戦国時代から江戸時代あたりの武家中心の時代?
でも、女性の方は…なんか髪型が、どうも江戸時代のそれとは違う気がします。
江戸時代といえば、↓こんな感じの…こめかみの横サイドも立ち上げた感じの髪型を想像しますが…
今回の女性マークは、そのまま上に上げて、丸いお団子頭ですもんね。こういった髪型をしていたのって、あまり詳しくはないですが歴史的にこんな感じ?
acworksさんよるイラストACからのイラスト
縄文時代というか弥生時代というか、卑弥呼的な飛鳥・奈良時代というか…。
あるいは、沖縄あたりの衣装は、丸いお団子髪ですよね。こんな感じの。
トモヨセさんによるイラストACからのイラスト
いずれにせよ、何だか男性と女性で時代が違うような気がします。
ま、こんなことを突っつくのって、私くらいでしょうけど。
広島城の当主は…
kabuyochuさんによる写真ACからの写真
ちなみにこのトイレマークがあった広島城ですが、私たちが見る現在の城は、原爆で吹き飛ばされた以降に建替えられたものだそうです。ではこのトイレマークに表されるお殿様は誰なのかしら…?と思い、城主について調べてみました。
広島城を築城したのは、祖父の毛利元就の頃よりこの地域を支配していた毛利輝元です。秀吉に臣従していた輝元は、上洛した際に見た秀吉の大阪城に感化され平野部への築城を開始、1591年に広島城へ移ります。しかし秀吉死後、1600年に関ヶ原の戦いに敗戦したのち、毛利家は領地を減らされ、周防・長門へ移ります。
毛利家ののちは、1600年に福島正則が広島城へ入城します。
福島正則は、城の大規模改修に着手しますが、これが家康を怒らせ、1609年には謹慎を言い渡されます。しかしその後1619年に、洪水ののちの改修を無断で行った武家諸法度違反として、福島正則は信濃国へと封じられます。
その後1619年の浅野長晟入城後は、明治維新まで12代250年続く浅野家の城となります。
…ということで、男性トイレマークのお殿様は誰かと思案しますが、築城した毛利輝元の可能性もありますが、城に対する思いの高さとしては、福島正則のような気もします。まあ、城主としては安定して一番のスパンを誇る浅野家の誰か、という見方もできますね。
実は私、広島出身なんですが、今改めて調べて、初めて歴史を知りました…。築城から浅野家までの流れ、とても興味深いですね。トイレマークが誰かとして見ると、歴史上の人物を勝手に身近に感じちゃいました。
歴史的建物のトイレマークから、来歴をみるというのはとても面白いですね。
そういえば、過去に佐賀県の唐津城のトイレマークも紹介したことがありました。意外と城は素敵なトイレマークに会えるスポットなのかもしれません。
似たトイレマークがある?
宮島で、ちょっと似ているトイレマークを見つけました!
偶然?いや、どちらも史跡なので同じ管理者でしょうか?
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