宮島にあった武士のトイレマークは誰がモチーフ?広島城のものと関係は?‐No.479

トイレマーク ――歴史ものアート

宮島にあった武士のトイレマークを紹介します。

僕は誰…?

私、子供だからわからな~い

発見場所:広島県廿日市市宮島 公衆トイレ
発見日:2011年8月15日
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月代(さかやき)が妙にリアルなトイレマーク

今回のトイレマークは、着物姿です。

男性がちょんまげですが、頭頂部が剃り上げられた月代を作っています。それがなんだか妙になまめかしい…。

ちょんまげについては、以前にも触れたとおり、このハゲ部分を作ったのは戦国時代以降なので、戦国時代以降の人物を指しているんだと思います。袴を着てはいるので、町民ではなく武士だとは思いますが…

ちょんまげについてはこちらもご参照ください。

ちょんまげの種類と時代について!ハゲにした理由は?‐No.445
まげの種類について解説します

しかしそうなると、宮島でお侍さんって……誰?という疑問が湧きます。

宮島でお殿様姿の人物って…誰?

以前、同じ宮島内で見つけたトイレマークで、平安時代末期の平清盛モチーフと思われるトイレマークは紹介したことあります。

宮島にあったトイレマーク!平清盛?妻は誰?‐No.432
宮島にあったトイレマークを紹介します。

清盛については、厳島神社を整備した人物なのでわかりますが、戦国~江戸時代に、宮島に縁あった有名な人は誰かについて調べてみました。

毛利元就

平安時代末期に平清盛に盛り立てられたあと、戦国時代は少し低迷していたよう。しかしその後、1555年に安芸の毛利元就と、周防の陶 隆房が争った「厳島の戦い」がありました。この戦いでは毛利元就が勝利し、陶隆房は自害、大内氏は衰退していきました。毛利元就はこの一帯を治めるようになり、厳島神社を厚く信仰。大がかりな社殿修復を行ったのもこの時期です。今私たちが見る社殿は、この時代のものがかなりあるそうです。

豊臣秀吉

その後、豊臣秀吉も厳島を気に入り、歌会を催したり、千畳閣を造らせるよう命じたりしているそうです。ただし千畳閣は秀吉の死後、途中で中断され、板壁や天井のない未完成の状態のままとなっているそう。

福島正則

また、初代広島藩主となった福島正則は、現在の能楽堂を寄進したとされているそうです。しかし彼はのちに広島城の無断改修で改易するはめに…。

 

…ということで、以上の3人が、主に貢献した人かと思われる人物でしょうか。

個人的には毛利元就か豊臣秀吉かと睨んでいるのですが…。

 

しかし実はもうひとつ、このトイレマークは気になる繋がりがあるのです!

似たマークがある?

トイレマーク

今回のマーク、実はちょっと似たものに以前出会っています。

↓この「広島城」にあったマークです。

トイレマークのちょんまげがカワイイ!でも女性は弥生時代の姫君?-No.209
ちょんまげのトイレマークについて紹介します。

 

全く似ているというわけではないですが、いくつかの要素は似ていますね。前回のマークもまた誰だろう…と検討しましたが、この時は築城した毛利輝元か、初代藩主の福島正則、あとはその後の藩主浅野家の誰かかな?という考えになりました。

毛利輝元は、冒頭の厳島の戦いで広島一帯を治めるようになった毛利元就の孫ですね。この毛利家と福島正則が、どちらのトイレマークにもかかわっているようです。

 

ま、結論としてはおそらく広島県の史跡担当課が決めたトイレマークだから、なのでしょうけど。

トイレマークが誰かなんて、トイレマーク採用担当者もそんなに深く考えてないとは思いますけどね。

それにしても、女性は子どもみたい…

…と、ここまで男性マークばかり見てきましたが、女性マークは少女みたいですよね。

まるで、アニメ一休さんの「さよちゃん」の髪型そのものなんですけど…(笑)。若者は知らない?

 

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