男装したトイレマークについて解説します。
私、男装しているの
俺の顔が消えてる
のが残念。
発見日:2008年9月9日
提供:あき様
男女同じ形に見えるトイレマーク
今回のトイレマークは、見たところ、男女同じ形に見えます。
非常に残念ながら、顔の部分が一部欠けています。よく見ると、女性マークの口元は、唇の形になっているようです。男性もこの口元だったのか、同じ表情だったのか、気になるところではありますが、現在ではうかがい知ることができません。
服装のみを見ると、男女が同じ格好で、広い意味で「和服」です。男物なのか女物なのか、どのような形の衣装なのかはこの簡易的な形からは読み取れません。
しかし、この髪型に特徴があります。
よ~く見ると、頭の真ん中と、耳元で髪が分けられています。古代の貴族の髪型であるように見えます。
こんなの。
よく聖徳太子(厩戸皇子)の肖像などで見る髪型ですね。中心から二つに髪を分け、耳のそばで輪にするか、8の字に束ねるものです。
この髪型は「角髪(みずら)」と言って、日本古代の男性がされていたとされる髪型です。一部、少女もされていたとされますが、主に男性のものとされます。
この時代、女性は頭頂部で結い上げるような形がメインだったとされます。
では、なぜこのトイレマークは、女性も「角髪」をしているのでしょうか…?
不思議に思い、色々と調べると、あえてこの髪型をしているのではないかということが浮上してきました…。
それは、この地にまつわる伝説に大きなかかわりがあったのです…。
宮地嶽神社について
冒頭に紹介したトイレマークはサーフィンをする友人からもらった、ビーチのトイレマークです。
なので、若者のビーチ!と思いきや、近くの「宮地嶽神社」の参道から浜、そして海へと一直線に夕陽をのぞむ光景が「光の道」として有名な由緒ある場所でした。
ryo1さんによる写真ACからの写真
一時期、嵐のCMで話題になったりもしたそうです。
宮地嶽神社はというと、御祭神は主神を「神功皇后(じんぐうこうごう)」、勝村大神・勝頼大神を配祀しています。
神功皇后は、第14代天皇・仲哀天皇の皇后で、仲哀天皇崩御の後、初の摂政となった人物。熊襲征伐の半ばで夫の仲哀天皇が亡くなると、意思を継いで先頭に立って戦い、最後まで抵抗していた九州北部を平定。これにより、ヤマト王権の全国制覇が完了したとされます。
またその後、神功皇后は海を越え新羅へ出兵、三韓征伐へと向かいます。その神功皇后が、この地で船出を祈願したのが、宮地嶽神社の始まりといわれます。
男装している理由は?
では、なぜ女性トイレマークが男装しているのか。
それは、日本書紀によると、神功皇后はこの新羅出兵の際に、筑紫の橿日(かしい・現在の香椎)の浦で、占いをしたとされます。
長い黒髪を解いて海水にすすぎ、「良いしるしがあるなら、この髪よ、二つに分かれよ」と言うと、髪の先が二つに分かれたそうです。神功皇后はその髪を「みずら」に結い、このときから男装したとされるそうです。
宮地浜トイレマークまとめ!
と、いうことで。
おおおおお~!ビックリ、一つのトイレマークから物語が読み取れました!!!
なんだかとても心が震えました…!トイレマークの由来を読み解くうちに、壮大な歴史ロマンへと飛び込んでいきました。いや、でもこの神功皇后、スゴイ人物ですね…!実はこの三韓出兵の際は、亡き夫の子を妊娠していたそうですよ…!すごすぎる…。
まあこの神功皇后は、70年近く摂政としていたとされ、その存在について謎が多いようです。卑弥呼と同じく、伝説と実在の合間にいるようです。でも彼女について想像すると、色々とロマンを感じますよね。明治期には政府紙幣にもなってるようです。ただ肖像はイタリア人によるものなので、西洋風美人になっているそう。
一方で…男性は、夫の仲哀天皇でしょうか?仲哀天皇は日本武尊(ヤマトタケル)の子とされていますが、ヤマトタケル・神功皇后という伝説的な二人の人物に挟まれて、その実在は明確ではないとされています。トイレマークにまで顔が無くて、その存在感もなんだか…。
…という、様々なエピソードが交差する、みごたえあるトイレマークなのでした!
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