2021年!ついに東京オリンピックが開会しました。
オリンピックはスポーツばかりではなく、文化的な面でも大きな意味があります。前回、1964年の東京オリンピックは日本の人々が世界を間近に感じた初めての大会でもありました。その興奮は、こうして50年近くたっても語り継がれるくらい。と、同時に前回大会の功績も注目されてきています。その中の一つが、トイレマーク含むピクトグラムです。
今回、東京オリンピックでのピクトグラム制定の流れとその広がりについて解説します。
僕らの出生の秘密…
ピクトグラムの歴史ね
発見日:福岡市中央区 福岡銀行本店
東京オリンピックの統一ピクトグラム
1964年の東京オリンピックは、アジア圏で、しかもアルファベットを使わない国での初めての開催でした。
国際オリンピック協会側は、オリンピックの公用語としている英語、またはフランス語を優先し、日本語はその次で!という方針だったそうですが、当時の日本人には英語やフランス語を理解するものは少なく、かといって、日本語優先でも外国人には困る。この状態では混乱は必至です。
そこでこうしたオリンピックにかかわる様々な事柄をいかに表現するか?という問題に、1960年に世界デザイン会議を日本で開催するなど世界のデザイン界に通じ、かつ東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長であった勝見勝(かつみまさる)は、アイソタイプを用いて実践することにしたそうです。
競技を表すピクトグラムに関しては、すでに山下芳郎が担当して制作していましたが、施設関係のピクトグラムの制作に取り掛かったのは、開催の年1964年に入ってからのことでした。勝見は11人の若手デザイナーを招集し、「トイレ」などひとつのお題を挙げ、全員にイラストを描かせたのちに、それを議論するというスタイルで、約40種類ものピクトグラムを作り上げました。
当時は印刷技術も高くなく、墨入れの際には学生すら動員して作ったそうです。にもかかわらず、オリンピック期間中はあまり浸透せず、結局トイレマークの横に手書きで「便所」と描いて貼っていたとメンバーの一員であった道吉剛氏はのちのインタビューで苦笑しています。
しかしその後のオリンピックや、日本では1970年の大阪万博の際にも使用され、徐々にトイレマークは人々に浸透していきました。
東京五輪トイレマークは誰が作ったの?著作権は?
東京オリンピックの際の委員会メンバーは、委員長の勝見勝自ら電話で声を掛けた、20~30代の若手クリエーター11人といわれます。私が色んな記事から挙げられた名前を独自に寄せたものですが、勝見勝さん以外11人なのでおそらくこの方たちではないかと思われます。
- 勝見勝…東京五輪のデザイン専門委員会委員長を務めた。デザイン評論家。
- 田中一光…無印良品のトータルデザインなどを手がけたグラフィックデザイナー
- 福田繁雄…1970年の大阪万博のトイレマークも手掛ける。
- 永井一正…JRのロゴなど数多くの企業ロゴを手掛ける
- 宇野亜喜良…少女などのイラストで寺山修司作品などの挿絵を数多く手掛ける。
- 横尾忠則…舞台美術のポスターを多く手掛けた画家。
- 木村恒久…数多くのフォトモンタージュ作品を世に出す
- 柳原良平…トリスおじさんなどのキャラクターデザインを行う
- 道吉剛…1970年の大阪万博のデザインワークに深く関わる
- 原田維夫…田中一光に師事したあとフリーに。版画家。
- 灘本唯人…本の表紙などのイラストを手掛ける。
- 江島任…「装苑」「ミセス」などアートディレクターをつとめる
す、スゴイメンバー…。チカチカしますよね。皆さんビッグネームすぎて、まさにドリームチームです!!!
ちなみに、検討会は上記のメンバーだったそうですが、このマーク自体を描いたのは田中一光さんだったと言われます。
このほか、当時の東京オリンピックデザイン室はメダルや室内装飾、衣装などで様々なジャンルのデザイナー30人前後が出入りしていたそう。挙げられているのは、山下芳郎(ポスターや競技ピクトグラム制作)、粟津潔、杉浦康平、勝井三雄、細谷巖、仲條正義、榮久庵憲司、原弘、山城隆一、河野鷹思、柳宗理、なかには衣装の石津謙介や森英恵、画家の岡本太郎や建築家の磯崎新もいたとか。このなかのどなたかもピクトグラム制作に影響を及ぼした人物もいたかもしれませんね。
こうして現代に名高いデザイナーたちがピクトグラム制作に携わりましたが、会をまとめる勝見氏がピクトグラムを世界に発展させたいとの呼びかけで、デザイナーは著作権を放棄する書類にそれぞれサインしたそう。こうした行動があったからこそ、トイレマークは今豊かな表現手段として繁栄しているんだと常々思います!
トイレマーク誕生は東京オリンピックって本当?
東京オリンピックでトイレマークに選定されたこのイラスト。上記の通りこのマーク自体を描いたのは、田中一光氏だったと言われます。しかし実は、このトイレマークのさらに元になったマークがあるようです。東京オリンピックの前年、1963年に群馬県館林市の旧本庁舎(現・市民センター)が建てられた際、よく似たマークを本庁舎に使ったようなのです。しかもこの本庁舎の細部のデザインを手掛けたのは、同じ田中一光さんだったそう。
非常に気になりますね。現存していたらいいのですけど…。詳細は「館林城の再建を目指す会」のホームページに記載がありましたので、そちらもぜひご覧ください。
トイレマークの青・赤もこの時に決まった?
このトイレマークの際に、青・赤という色分けも決まったようです。道吉氏によるそうですが、どうしてこの2色だったのかは「なんとなく」だったそうです。
この件に関しては下記記事もご参照ください↓。
ちなみに青と赤の組み合わせのナゾについては、私も調べているところですが、性別のカラーとしての起源はまだよくはわからないのが正直なところです。
色については以下ページも参照ください。
女性スカートのデザインはモデルがある?
東京オリンピックのピクトグラムを考えた一員である道吉剛氏は、女性マークのドレスは当時最先端のマリー・クワントのミニスカートを参考にした、と言っています。ちょうど60年代はマリークワントのミニスカートやツィギーがもてはやされた時代ですね(といっても、ツィギーは翌年の1965年デビューのようですが…)。
でも、マリークワントのスカートはこんなに膨らんでないような…?とちょっと疑問に思いましたが、その前の時代、1950年代頃の女性を見てみると、軒並みロングスカートです。
そこから比較すると、この女性のスカートはとてもポップな印象です。
1960年代にミニスカが発明されて、戦後10年以上たち華やいできた空気を反映しているといえると思います。
もうひとつの東京オリンピックきっかけのトイレマーク
当時の羽田空港の物に似たマーク
東京オリンピックに際してできたトイレマークが実はもうひとつあります。
それは、羽田空港のトイレマークです。当時の羽田空港は、手書きのものが乱雑に標示されていただけでした。まだまだ一般の人が海外には出たことがない時代。それが東京オリンピックで各国から人々がやってくる、となったときに、勝見勝氏が依頼したのが、村越愛策氏でした。村越氏もまた東京オリンピック前に、トイレマークを含むピクトグラムを制作しました。
当時村越氏の作ったトイレマークのデザインに近いものが、以下のようなものでした。
こちらのマークも、現代で普通に通じますね。同時期に二種類のトイレマークが出来、それが互いに浸食することなく共存しているというのがとても興味深いです。
トイレマークの国際シンボル化リレー
ここで、東京オリンピックで最初にトイレマークを一般的に使い、形を少しずつ変え、世界的に広まっていく様子を紹介します。
1964年 東京オリンピック
↓↓↓
1968年 メキシコシティーオリンピック
↓↓↓
1970年 大阪万博
↓↓↓
1972年 ミュンヘンオリンピック
↓↓↓
1974年 DOT(アメリカ合衆国運輸省)・AIGA
う~ん、感動的ですね!
撮影したトイレマークがあった場所は
ちなみに今回のトイレマークを撮影したのは、福岡市にある福岡銀行本店のなかです。黒川紀章氏設計による黒光りした外壁が美しい建築です。以前MATという団体が、福岡市の有名建築を解説するツアーを開催していて、それに参加させていただきました。たしかクラシックコンサートなどが催されるホールの近くにあったと思います。
このビルが建てられたのは1975年。東京オリンピックから約10年ほどですね。マーク自体も古そうなので、建築当初からあるのではないかと思うのですがどうでしょう。
参考文献・サイト
TABUZINE 世界中に広まる男女が並ぶトイレマークは、日本で生まれたって本当?【日本の不思議】2017.10.29 https://tabizine.jp/2017/10/29/156795/#1964
竹中工務店「approach」2015年夏号 https://www.takenaka.co.jp/enviro/approach/2015sum/index.html
館林城の再建を目指す会 http://w-concept.jp/tatebayashijou/cityhall/top_cityhall.html
日経新聞 「始まりは64年TOKYO 言語を超えたピクトグラム」2016.10.13 https://style.nikkei.com/article/DGXMZO08253700S6A011C1UP2000
日刊スポーツ「ピクトグラムは64年東京五輪で生まれた共通言語」2017.5.14 https://www.nikkansports.com/olympic/column/edition/news/1820212.html
産経新聞IZA!「あの「ピクトグラム」は日本人が作った! 東京五輪の名作デザイン」2013.2.16 https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140116/lif14011613440009-n2.html
笹川スポーツ財団 スポーツ歴史の検証「第68回 1964年をきっかけに世界へ広がった『ピクトグラム』」http://www.ssf.or.jp/ssf/tabid/813/pdid/264/Default.aspx
エキサイトニュース「東京オリンピックと日本のデザインの青春。迎賓館赤坂離宮物語」2014.10.24 https://www.excite.co.jp/news/article/E1414113412323/
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