下曽我駅のちょんまげとおかっぱトイレマーク!誰をイメージ?‐No.510

トイレマーク ――歴史ものアート

ちょんまげとおかっぱのトイレマークを紹介します。

ぼくは…一人だと確証が持てない

兄弟じゃないと?

発見場所:神奈川県小田原市 JR下曽我駅前
発見日:2012年2月11日
提供:M様
スポンサーリンク

ちょんまげトイレマークは誰?

今回のトイレマークは、男がちょんまげ、

女がおかっぱリボンです。

歴史を意識したっぽいということは、何か特定のモチーフがあるのかな…?と思い、この地の歴史を調べてみると…この地はある「兄弟」の縁の地でした。

仇討ちで有名な「曽我兄弟」です。

(楽天)

私も曽我兄弟については名前しか聞いたことなかったので、あとで詳細を述べるとして。しかし、男二人…。トイレマークにならんじゃん…。しかも源頼朝の時代なので、ちょんまげをしていたかどうかも怪しい。

では、違う人か…?と思い、ほかを当たると、

二宮尊徳(金次郎)の母の実家があったそう。遺髪を埋めた塚もあるようですが…。二宮金次郎?いやでも金次郎本人は小田原ですよね。ちょっと縁遠いかも?

さらに時代をくだれば、この地には太宰治が「斜陽」のモデルに描いた太田静子が住んだ「雄山荘(ゆうざんそう)」があったそうですが(2009年焼失)、時代的にちょんまげはちょっと違うかな?

(楽天)

ということで、このあたりで一番有名な歴史人物は「曽我兄弟」だと思われます。

曽我兄弟とは?

歌川國芳画「本朝廿四孝」より 『一万丸 箱王丸』(Wikipediaより)

鎌倉時代にあった兄弟による仇討ちの話で、赤穂浪士の討ち入りなどとともに、日本三大仇討ちとされている「曽我兄弟」の話。歌舞伎・能・浄瑠璃などでこの題材は人気だそうですが…。しかし物語の人間関係が複雑で入り組んでいて、私もあらすじを読んでみても、???だったので、箇条書きで。

  1. 【前段階の所領争い】工藤祐隆は、跡継ぎである祐家が早世したのちに、連れ子の娘が生んだ祐継を養子とし、本領である伊東荘を与えた。祐家の子の祐親には河津姓を与え、領地を分割してやった。
  2. 【前段階の所領争い】しかし、祐親はこれを不服に思っており、祐継の死後、祐継の子の祐経が上京している間に、伊東荘を奪った。そして、祐経に嫁がせていた祐親の娘の万劫御前とも離縁させた。
  3. というわけで、工藤祐経(くどうすけつね)は、叔父であり、元義父の伊東祐親(いとうすけちか)に恨みを抱いていた。そこで、狩りの際に刺客をやり祐親を狙い、一緒にいた祐親の嫡男・河津祐泰を討ち殺した。祐親は無事だった。
  4. 河津祐泰の妻・満江御前とその2人の息子・一萬丸と箱王丸が残された。満江御前は、曾我祐信と再婚、2人の兄弟は曾我の里で育ち、曾我姓を名乗る。
  5. その頃伊東祐親は、平家」に伊豆に配流された源頼朝の監視を任されるも、不在の間に娘と頼朝の間に子ができてしまい、激怒し生まれた子を殺害。頼朝も狙うが、頼朝はすんでのところで北条時政に匿われ事なきを得る。
  6. その後、頼朝が挙兵。平家方についた祐親は捕らえられ、一時は一命を赦されたが「以前の行いを恥じる」と自害して果てた。一方、祐経は早くに源頼朝に従い、寵臣となっていた。
  7. 兄の一萬丸は曾我で元服し、曾我十郎祐成と名乗る。弟の箱王丸は神社に預けられたものの出家を嫌い、縁者にあたる北条時政を頼り元服、曾我五郎時致と名乗る。兄弟は、仇討ちの成就を願うために箱根権現社で祈祷し、別当から兵庫鎖の太刀と黒鞘巻の小刀を授けられる。
  8. 源頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩を開催。最終日に曾我兄弟は祐経の寝所に押し入り、討ち果たした。
  9. しかし騒ぎを聞き駆け付けた武士たちが兄弟を取り囲み、兄・祐成は仁田忠常に斬られ果てる。
  10. 弟・時致は、頼朝の館に押し入ったところを捕まり、仇討ちの心境を述べる。頼朝は助命を考えるも、祐経の遺児に請われて斬首を申し渡す。時致は斬首し果てる。

 

…という流れの話。うーむ…どちらが悪いとか一概に言えない感じで、そこに頼朝という歴史の潮流もうまく絡んできますね。史実と創作が織り交ざった感じなそうですが…なんか…とりあえず複雑。

トイレマークとしては…

トイレマーク

以上のような歴史の舞台となった下曽我。

その駅のトイレマークなのですが…。何度考えても、女の出てくる隙がない。しかし、曽我兄弟の物語の背景を読み解くと、この曽我物語が知られるようになったのは、一人の女性が絡んでいるそう。それは、「虎御前」と呼ばれる兄・祐成の愛人で、二人が亡くなったあと出家して弔った人物だそう。その後口述して周ったことで、この話が各地に残ったとされます。

でも…。虎御前は祐成とあったのは遊女だった17歳頃だったとされます。19歳のとき祐成が死んでからは出家しているし。

このマークのようなリボンはなかろう…。

じゃ、誰だよ…?歴史にうずもれた曽我家の誰かでしょうか?

 

ま、たぶん誰もそこまで考えてトイレマークを選定しないと思いますけどね。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました