太宰府にあったトイレマークを紹介します。
東風(こち)ふかば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春をわするな
私、京都在住なもので…
発見日:2009年7月13日
提供:M様
文官の衣装トイレマーク!
今回のトイレマークは、日本の昔の貴族の恰好をしています。どんな時代のどんな身分なんだろう…と思って、服装から調べてみました。
女性は…十二単のような衣装を着ています。
髪はまっすぐ下に垂らしています。江戸時代中期以降はお雛様や、現代の雅子様の儀式の際のようにサイドを張り出す形になるので、それ以前の貴族なのだと思われます。ということは、平安時代~江戸初期くらいに絞られます。
一方、男性は…
頭は烏帽子ではなく、冠です。ということは、公式な場での服装ということになります。
また、上着のエリの形などを見ると、武家社会の直垂でなく丸襟の「袍」または「束帯」のようです。
「袍」または「束帯」ということは、天皇や上級貴族の衣装です。また、刀を差しているということは、帯刀を許されているので納言、参議以上の上級貴族ですね。
以上のことからとりあえず、平安以降の上級貴族ということが読み取れます。そして、このトイレマークがあったのが太宰府というところから、アノ人物が浮かび上がるのではないでしょうか…。
a********************mさんによる写真ACからの写真
菅原道真?
太宰府といえば、菅原道真ですが、彼の肖像を見てみると、このトイレマークと同じような恰好をしています。
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。(wikipedia「菅原道真」)
では女性マークは…
となると、菅原道真公の妻は?と思い調べてみると。
島田 宣来子(しまだ の のぶきこ、850年~没年不詳)という方だそうです。
宇多天皇の女御となった衍子(えんし)らを生んだそうですが、道真の大宰府左遷後も京都に留まったものとされているそう。その後の動向や死亡時期については不詳だそうです。
…う~む。なんか、ドラマがありそう。
京都にとどまった妻がいたってことは初耳ですね。
有名な「東風ふかば…」の歌、一ミリも妻とは関係ないんでしょうか。ちょっと興味ありますね。
東風が吹いたら、梅の花を咲かせて匂いを届けてくれ。
主人である私がいなくても、春を忘れないでくれ。
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