トイレマークが文官と貴族女性!太宰府ということは道真?妻は誰?‐No.347

トイレマーク ――歴史ものアート

太宰府にあったトイレマークを紹介します。

東風(こち)ふかば匂ひおこせよ梅の花

あるじなしとて春をわするな

私、京都在住なもので…

発見場所:福岡県太宰府市 温泉施設
発見日:2009年7月13日
提供:M様
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文官の衣装トイレマーク!

 

トイレマーク

今回のトイレマークは、日本の昔の貴族の恰好をしています。どんな時代のどんな身分なんだろう…と思って、服装から調べてみました。

女性は…十二単のような衣装を着ています。

髪はまっすぐ下に垂らしています。江戸時代中期以降はお雛様や、現代の雅子様の儀式の際のようにサイドを張り出す形になるので、それ以前の貴族なのだと思われます。ということは、平安時代~江戸初期くらいに絞られます。

一方、男性は…

頭は烏帽子ではなく、です。ということは、公式な場での服装ということになります。

また、上着のエリの形などを見ると、武家社会の直垂でなく丸襟の「袍」または「束帯」のようです。


武家の直垂はVネックに衿を合わせてあります。

「袍」または「束帯」ということは、天皇や上級貴族の衣装です。また、刀を差しているということは、帯刀を許されているので納言、参議以上の上級貴族ですね。

以上のことからとりあえず、平安以降の上級貴族ということが読み取れます。そして、このトイレマークがあったのが太宰府というところから、アノ人物が浮かび上がるのではないでしょうか…。

a********************mさんによる写真ACからの写真

菅原道真?


太宰府といえば、菅原道真ですが、彼の肖像を見てみると、このトイレマークと同じような恰好をしています。

 

菅原道真(すがわら の みちざね、845年~903年)
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。(wikipedia「菅原道真」)
こうしてみると、道真公の可能性が高いと思われます。

では女性マークは…

となると、菅原道真公の妻は?と思い調べてみると。

島田 宣来子(しまだ の のぶきこ、850年~没年不詳)という方だそうです。

宇多天皇の女御となった衍子(えんし)らを生んだそうですが、道真の大宰府左遷後も京都に留まったものとされているそう。その後の動向や死亡時期については不詳だそうです。

…う~む。なんか、ドラマがありそう。

京都にとどまった妻がいたってことは初耳ですね。

有名な「東風ふかば…」の歌、一ミリも妻とは関係ないんでしょうか。ちょっと興味ありますね。

   東風が吹いたら、梅の花を咲かせて匂いを届けてくれ。
主人である私がいなくても、春を忘れないでくれ。

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