先日見つけたトイレマークは、山高帽にかぼちゃパンツのいわゆる”南蛮人”のようなスタイルでした。
調べてみると、当時伝来したファッションアイテムで、日本語化したものはいくつかある様子。
とても面白かったので合わせて紹介します。
じゃじゃ~ん!!!
うわっ!目を合わせないでおこう…
発見日:2020年11月15日
南蛮人スタイル?な男性トイレマーク
今回のトイレマーク、男性が山高帽に、かぼちゃパンツのような短パン姿をしています。イメージ的にはこんな感じ?いわゆる「南蛮人」のようですね。↓↓↓
画像:Wikipediaより「南蛮屏風」の一部。
上の画像は足首まである丈のズボンですが、膝丈の短パンもあったようです。下↓の画像左の赤マントの男性ですね。
こういうスタイルの服装って、エリやマントなど、織田信長をはじめ戦国大名が取り入れたりして、日本でも一時期物珍しさで流行りました。
しかしその後、はびこるキリスト教に不安を感じた秀吉により国内は鎖国対策をされるようになり、庶民が目にする機会はなくなった…と思いきや、実は日本化して私たちの生活に取り入れられているものもあるのだそう!
その一例を紹介します!
日本語化した南蛮由来のファッション
(長ズボンタイプのダボダボズボンスタイルの南蛮人)
今回のような南蛮人がはいているズボン、コレは以前にも紹介した短パンのかぼちゃパンツスタイルですね。
フランス語では「オードショース」、英語では「トランクホーズ」といいますが…これは、ポルトガル語では「カルサン」というようです。この「カルサン」は、日本語となってズボンを表す単語として残っています。
軽衫(カルサン)
もとは半ズボンの意のポルトガル語「calçāo」。
16~17世紀,スペインを中心にヨーロッパで流行ったふくらんだ半ズボンに長靴下をはいたスタイルの来日したポルトガル人をまね,短い袴(はかま)に脚絆(きやはん)を付けたものをかるさんと呼びました。
武士から町人まで着用しましたが、江戸時代には町人の労働着となったそうです。現代でも農山村や寒い地方で野良着として用います。今では山袴やもんぺといったほうがピンとくるかもしれません。
合羽(カッパ)
もとは雨風をしのぐ外套の意のポルトガル語「capa」。英語のケープと同じ語源です。
織田信長,豊臣秀吉,足利義昭など当時の支配者たちは,西洋から献上された最高級羊毛布地の〈猩々緋(しようじようひ)〉(赤紫色)で同形のものを作らせ,権威の象徴としたといいます。しかし江戸時代になると医者や裕福な商人が贅を競うようになったので、幕府から禁止されました。
一方、紙に桐油 (とうゆ) を引いて防水加工した合羽が江戸時代に庶民に広まり、現代でもカッパといえば雨具として使用されています。
このほか、山高帽を「南蛮笠」などと呼んでいたそうです。
そんな南蛮スタイル(と思われる)男性。腰に手を当て、なんだかとても堂々としています。なぜ…?
しかし女性は19世紀頃のファッションのよう?
男性は南蛮スタイルの一方で、女性はどうも少なくとも19世紀頃っぽいんですよねえ…。
どうしても、ビクトリア朝のイギリススタイルに見えちゃう。ああ、このトイレマークはこの本の表紙の女性にソックリです↓。
男性の南蛮人スタイルと合わせたとすると、16-17世紀頃のポルトガル・スペイン辺りの女性はこんなゴテゴテな服装のイメージ↓。
画像:Wikipediaより「ポルトガルのイザベル」
…といっても、これは王妃なので、ゴテゴテは当たり前ですがね。しかしこんなトイレマークのような帽子、そして(折りたためる)日傘ってのはねえ…中世の女性にはピンとこないというか。
しかしそもそも、このトイレマークの頭辺り、帽子なのか髪型なのか、そもそも顔がどっちを向いているのかもわかりません。拡大画像がコレ↓。
えっと…ちょっとどんな頭部なのかわからなくなってきた。もはや、人にすらみえず鶏の頭にも見えるような…。
まあ…おおまかに…ヨーロッパの女性ってことで。
ビス止めがエグイ
このトイレマーク、最後に気になるのが、男女のモチーフのガッツリ真上からネジで壁に止めてあるんですよね。
男女それぞれの局部あたりに一か所、足元に一か所の二か所ずつ。
コレ…ネジが見えないよう接着剤とか…。せめてネジは板の端とか…できなかったのかしら…?せっかくカッコイイトイレマークなのに、もったいない。
もっというと、日本人的には人形の上から釘を貫くって、藁人形的な感じで抵抗がありそうなものです。そう考えると、このトイレマーク、海外製とかかもしれない、とも思ったりしました。
南蛮人系トイレマークはほかにも?
過去には南蛮と中国の香りがするトイレマークなんかもありました。
異国情緒でいいですよね♪
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