雪国(川端康成の小説)がモチーフと思われるトイレマーク!‐No.809

トイレマーク ――歴史ものアート

戦前の服装と思われるトイレマークを紹介します。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

会いに来るのをまってるわ。

発見場所:新潟県南魚沼郡湯沢町 越後湯沢駅ビル「COCOLO湯沢」
発見日:2014年5月29日
提供:Iwashi様
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ざんぎり頭と「お引きずり」の男女の姿

トイレマーク

今回のトイレマークは、着物姿です。

着物姿のものといったらよく時代劇のようなちょんまげ姿のものは見られますが、今回は短髪のざんぎり頭です。…ということは文明開化後ですね。モチロン現代でもいいですが、男性が和装をするのは現代ではあまり一般的ではないので、明治・大正・昭和初期あたりかな?と思われます。

 

一方で、女性は日本髪ですが、着物の裾を引きずるほど伸ばしています。

これは「お引きずり」と言って、一般の女性なら結婚式の和装の際にこのような姿になりますが、そうでなければ大体芸者・遊女などの姿です。

明治・大正・昭和初期あたりの男性と、芸者・遊女の姿…。ものすごく限定的な組み合わせです。しかも、これは駅ビルにあったもので公共の場でこの二人の姿を採用するってよっぽどです。ということは、何かしらのモチーフがあるのではと思い調べてみると、ある事実が浮かんできました…。

湯沢町は川端康成「雪国」の舞台


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このトイレマークがあったのは湯沢駅のビルです。湯沢町は、川端康成の長編小説「雪国」の舞台。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という冒頭のフレーズは有名です。「雪国」は海外でも評価が高く、川端が受賞したノーベル文学賞の対象となった作品でもありました。

明記されているわけではありませんが、川端康成が実際に1934年から1937年に湯沢温泉に泊まり、その時に出会った女性や事件をモデルにして描かれています。作品は1935年(昭和10年)~1948年にかけて断片的に発表されています。そのため、雪国の時代背景としては昭和初期だと思われます。

1957年製作の映画「雪国」も、ちょうどトイレマークと同じこの姿ですね。池部良、岸恵子、八千草薫が演じ、團伊玖磨による曲も評価されています。

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「雪国」のあらすじは?

主人公は東京に妻子のいる島村という男性。

雪国に向かう車内で島村は、病人の男性とそれに付き添う女性に興味をひかれます。彼らは島村と同じ駅で降りました。島村は旅館に着くと、懇意にしている女性・駒子と会います。島村と駒子はその年の5月に会い、その時は駒子は踊り見習いでしたが、今回会ったときは芸者となっていました。そして電車で見かけた男女は、駒子の踊りの師匠の息子・行男で、その恋人らしい葉子とも駒子は知り合いということを知ります。また、駒子は実は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと島村は耳にしますが、駒子はそれを否定しました。島村はしばらく温泉街に逗留し、東京に帰ろうとした日、行男が危篤だと葉子が報せに来ますが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送ったのでした。

翌々年、再度島村が雪国を訪れると、行男も、駒子の踊りの師匠も亡くなっていました。駒子はお座敷の合間に島村の元へ通います。島村は駒子が港町で5年ほど続いている人がおり、しかし別れたがっていることも知りました。ある晩、忙しい駒子は葉子に伝言を持ってこさせ、島村と葉子は言葉を交わします。葉子は島村が東京へ帰る際には連れて行ってくれ、と言い、駒ちゃんは憎いから言わない、といいます。しかし「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」とも言います。島村は惹かれつつも寒気がしました。駒子と会うと、島村は「君はいい女だね」というと、駒子は聞き違ったのか「くやしい、ああっ、くやしいっ」と泣きました。

長逗留に島村は呵責がつのってきました。駒子のすべてが島村に通じてくるのに、島村の何も駒子に通じていそうにない。今度帰ったらもうこの温泉へは来られないだろうという気がしていました。ある日、町の繭倉が火事になります。駒子と眺めていると、繭倉の2階から人が落ちました。それは、葉子でした。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えました。駒子は駆け寄り、「この子、気がちがうわ、気がちがうわ。」と叫びました。島村は人の波によろめきました。

…という話。

トイレマークとしては…

トイレマーク

…ということで正直なところ、(現代的な感覚で言うと)妻子持ちなのに温泉街でフラフラ過ごす男性と、芸者さんという組み合わせの一般的には公に登場するのはほぼない二人です。しかしそれが純文学になることで太陽の下へだされるという、興味深い形のトイレマークです。

なんだかんだで、男女は綺麗な形じゃ片づけられんこともありますよね~。

この二人が男女のマークとして登場してはいますが、結ばれるわけではないし、なんだか色々と考えさせられるトイレマークなのでした。

今回、図書館で「雪国」を改めて読んでみましたが、会話文が多くなかなか読みやすかったです。でも「え?これで終わり?」ってな唐突な終わりでしたが…。まあいろいろ終わりを予感させる文章は散りばめられていたので、想像するしかないのですが、ハッピーエンドではないですね。

以前同じ川端康成の文学「伊豆の踊子」がモチーフになったトイレマークもありましたが、その初々しい二人とくらべると「雪国」は大人の世界だよなあ…と思います。でも、よく考えるとこの学生と踊子も結ばれるわけではナシ、ある意味では今回と同じです。男女といっても、それが永遠の二人ではない…川端文学の業の深さを感じるところです。

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