先日見つけたトイレマークは、勇猛な武人の人物画でした。
こんな感じのイラスト、見たことあるような気がするけど、なんだっけ…?題材は何なのだろう…?と調べてみると、青森県の「津軽凧」にたどり着きました!
このトイレマークと同じイラストの凧があるようです。カッコいい!
とても気になったので津軽凧について調べてみました。
俺は「源為朝」!
私は「祝融婦人」よ!
発見日:2011年8月15日
提供:中村様
津軽凧とは?歴史と特徴について
「津軽凧」とは、青森県の郷土玩具のひとつ。
津軽藩士の冬の間の内職として江戸時代から作られるようになったと言われます。
寒冷地の青森では、竹がなかなか育たないので、凧の骨には薄くけずったヒバの木を使い、風を切ってうなりを出すブンブと呼ばれる厚紙を付けています。
ねぷたの山車を思わせる、線の太い武者絵が描かれます。
武者凧の題材で代表的なものは?(男性)
津軽凧でよく描かれる題材は、代表的なものがいくつかあります。
源為朝(みなもとのためとも)
平安時代末期の武将で、源頼朝・義経兄弟の叔父。約2mの巨体の荒くれ者として数々の伝説を残しています。九州への追放後、保元の乱で敗北、伊豆大島へ流され、自害。「義経記」によると、本当は八男の義経が九郎を名乗った理由に為朝へのリスペクトが挙げられるとも言われますが、諸説あります。
ちなみに、八丈島に流された為朝が疱瘡神を抑えたことで島に疱瘡が流行しなかったという伝説から、江戸時代には疫病の守り神ともされたそう。
渡辺 綱(わたなべのつな)
平安時代中期の武将で、源頼光に仕えた頼光四天王の一人。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋で鬼の腕を名刀「髭切りの太刀」で切り落とした伝説などがあります。
加藤清正(かとうきよまさ)
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。豊臣秀吉の忠臣で、四国征伐、九州平定に参加後、肥後国領主となりました。朝鮮出兵をし、明が援軍にくるまで攻め入るも、秀吉の死去で帰国します。その後関ヶ原の戦い後は家康側を支援しつつ、豊臣秀頼と家康との和解を取り持ちました。
金太郎
平安時代中期の武将・坂田金時の幼名。のちに渡辺綱らとともに頼光四天王となり活躍。足柄山でクマと相撲をとったりまさかりを担いだりしている姿が子どもの成長を願うモチーフとして様々なシーンで使われます。
武者凧の題材で代表的なものは?(女性)
津軽凧は、女性の勇ましい武将も題材に選ばれているのが特徴のひとつです!
祝融夫人(しゅくゆうふじん)
小説『三国志演義』に登場する人物。南蛮の王「孟獲」の妻で、諸葛亮との闘いに何度も負ける夫を不甲斐なく思い、自ら出陣します。投げナイフの達人で蜀軍を翻弄するも、捕らえられてしまい、人質交換として自軍に返されます。最終的に夫と蜀へ忠誠を誓います。
神功皇后(じんぐうこうごう)
日本神話の伝説上の人物で、第14代仲哀天皇の皇后。夫亡き後70年にわたって摂政についたとされます。
神功皇后について詳しくは以下のページもご参照ください。
巴御前(ともえごぜん)
平安時代末期の女武将。木曽義仲の幼馴染で妾とされ、義仲とともに平氏打倒のため戦い、平氏を西へ追い込みます。しかしその後、粗暴な義仲軍に困った後白河法皇の方針転換で、義仲の従弟である源頼朝・義経軍に追われることに。義仲は「最後に残って後世に伝えてほしい(源平盛衰記)」と巴御前を説得、巴御前は戦線離脱したのちに、義仲は討ち死します。
武者凧の題材で代表的なものは?(2人描かれているもの)
日本武尊(やまとたけるのみこと)と熊襲(くまそ)
日本武尊が女装をして熊襲を襲うシーン。日本武尊は女性のような風貌に描かれています。知らなければ女性が戦っている様子に見えると思います。
神功皇后と新羅王
神功皇后が朝鮮征伐へ向かった伝説のシーン。
まとめ
数ある和凧のなかでも、極太の線が大迫力の津軽凧。
個人的には、女性武人が複数揃えているというところが素敵だな、と思いました!
女も強くなくっちゃね!
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